神田古本祭りに行ってみた話

祭りに参加してきた

野暮用でピエール・ブルデューの某書を手に入れる必要があった事を思い出し、ネットで中古品でも注文すればいいやとAmazonで検索してみた所、そういう時に限って表示結果は在庫切れであった.

その日は丁度であった.講義も、労働もなかった.家に籠ってダラダラする気分でもなかった.という事で、長らく都内に住み着いているものの、言わずと知れた「古書の町」神保町を実際にふらついてみた事が無かったので、本探しついでに神保町の古書街に行ってみた.何だかタイミングがツイていたのか、その日は丁度古本祭りの開催期間であった.暇と祭りが生み出す奇跡のマリアージュである.ちなみに本探しに没頭し過ぎて、写真を撮り忘れた.といっても私は普段からあまり写真を撮るタチの人間でもないので、撮り忘れたという訳でもないのかもしれない.取り敢えずリンクのみ添付しておく.

第59回 東京名物神田古本まつり 開催 - BOOK TOWN じんぼう - イベント情報 [2018年10月2日(金) ~ 11月4日(日)]

 

銀行で1000円札を大量に引き出し、財布の中身をパンパンにさせてから、何処か懐かしい洋食やら食欲をそそるカレーの匂いを漂わせた昼ご飯時の神保町を当てもなくふらつく.目的を作らない事、突発的な出会いを作りにいく事、を味方につける事、これが何よりも重要である.私も腹が減っていた.だが、もう空腹なんぞどうでもよかった.靖国通り沿いの歩道がずらりと本棚で覆いつくされ、古書店の前は何処も彼処も人でごったがえしている.そんな光景に囲まれている内に、自然と空腹は何処かにすっ飛び、人波をかき分けてひたすら古書選びに没頭する自分がいた.本能の放棄、死の称揚.

せっかく神保町まで来たのだから、昼はカレーでも食べて帰ろうと画策していたものの、ふと腕時計に目をやれば、時計の針は既に三時を指していた.時の流れにこの身を任せすぎてしまった.悪い癖である.

トートバックは本でパンパンになり、これ以上歩く気力も失せたので、結局最寄り駅付近まで戻り、いつものドーナツ店でいつものようにドーナツとコーヒーを注文し、5歳程度の幼児の群れが店内で謎のダンスを踊る様子を観察しつつ、読みかけの九鬼周造を読破した.幼児、それは陳腐で退屈極まりない人間社会の掟を物ともせず、ただ本能に従って動き、叫び、ストローを吸い、ポン・デ・リングを引き千切る、何とも愛すべき存在である.私は幼児が大好きだ.親は子を叱る.だが、本当に叱られるべきなのは子供を「未熟者」として躾ける私達の方なのではあるまいか.私からすれば、大人の方がよっぽど「未熟者」だと思う.身体は老け込んだ大人でも、心だけはいつまでも幼児のままでいたいものである.

 

印象に残った事

ある古書店の女性店員が、高齢男性客の「自慢話」の聞かせ相手にさせられていた.耳中を沢山のピアスで飾り付け、襟足を激しく刈り込んだヘアースタイル.いかにもサブカル的雰囲気を全身から漂わせていた彼女であったが、外見の割りに、顔立ちはまだ非常にあどけなく、その物腰は柔らかかった.ギンズバーグが好きだの何だの口に出していた.若いのにやるねえ.

そんな彼女に対し、男性客はひたすら書物と映画の蘊蓄をランボーのマシンガンの如く乱射していた.何故年寄りはこうなのだろうか.マグロは泳ぐのをやめると死ぬが、年寄りも自分語りをやめると死ぬのであろうか.若者のSNSでの自分語りも厄介だが、年寄りの自分語りはもっと厄介であるように思われる.年寄りがSNSを手にしたら、この世は破滅の一途を辿るのかもしれない.空から降ってくる恐怖の年寄り.何だかこの世界はそこら中が自分語りで溢れている.そういう私も、現に真っ白な画面に向かって自分語りの「言葉」を書き殴っている.気が狂いそうだ.自分語り、ドゥルーズガタリ

如何に自らの承認欲求を発散させるか.この問題は非常に根が深い.裏を返せば一大ビジネス・チャンスでもある.だが、そんな事はどうでもよい.ああ、私は承認欲求を拗らせてまで長生きしたくないなあ.私は自分が老いていく事に耐えられる気がしない.だが、そうは言いつつも、結局私は煎茶でも啜りながら80歳程度までノウノウと生き永らえるのであろう.全くつまらんなあ.ドラマが無い.

 

 購入本

以下、今回の購入本である.デデン.

結局お目当てのブルデューの著作を見つける事は出来なかった.定価で買うしかないのかもしれない.とはいえ、総じてよい収穫であった.「埴谷雄高金子光晴関係の書物以外は買わない」という独自ルールを設けていたものの、独自ルールは所詮ルールとしての意味を為さなかった.別にいいや.だってルールは破る為にあるもの.破られないルールはそもそもルールとしての機能を果たしようがない.

マックス・ピカートの沈黙の世界は、直感が「買え」と命じてきたので買った.自分の頭が組み立てた論理よりも「あっ、これだ」という直感の方が大抵論理的である.直感には抗わない方がよい.その方が大抵上手くいく.

『世界の名著』に関しては、単純にその辺の論者を勉強する必要があると以前から感じていた事を思い出しついでに買った.300円であった.中身も綺麗である.これから色々とお世話になりたい.

一つ後悔があるとすれば、ジャズの流れるお洒落な古書店(確か夏目書房系列だったように思われる.芸術関係の取り揃えが多かった.)にてジョルジュ・パラントの著作集の4,5冊組みのセットを見かけた事であろうか.2万円であった.状態も良かったし、あれは安かったのかもしれない.衝動には打ち克ったが、衝動を行動に移さぬ事も、それはそれで後悔の種になり得るのかもしれない.

まあいいや.果報は寝て待て.

 

埴谷雄高論 (1968年) (戦後作家論叢書)

埴谷雄高論 (1968年) (戦後作家論叢書)

 
埴谷雄高『死霊』論―夢と虹

埴谷雄高『死霊』論―夢と虹

 
埴谷雄高エッセンス

埴谷雄高エッセンス

 
金子光晴 (ちくま日本文学)

金子光晴 (ちくま日本文学)

 
金子光晴―「戦争」と「生」の詩学

金子光晴―「戦争」と「生」の詩学

 
沈黙の世界 (1964年)

沈黙の世界 (1964年)

 
世界の名著〈第42〉プルードン,バクーニン,クロポトキン (1967年)

世界の名著〈第42〉プルードン,バクーニン,クロポトキン (1967年)