突然だがTwitter復帰しようと思う

私の気持ちを吐露するという事

対象を認識するという事.私の意識が対象を捉えたが故に「認識」と呼ばれるものが生じ得るのであり,この私,今真っ白な画面にキーボードで文字を打ち込むこの私の意識が存在しなければ,対象は存在し得ない.今ここに私は在る.パソコンが在る.ワイングラスが在る.世界が在る.私がベッドに身体を横たえれば,世界も頭から毛布を被る.私が死んだら,世界も眠る.世界が在り,私が在るのではない.私が在り,世界が在るのである.だからこそ私は,本ブログに「私の気持ち」を吐露し続けようと思う.あの子と言葉を交わした際の胸の高鳴り.ビルの隙間から顔を出した月の静けさ.口に広がるチョコレートの甘さ.

ランボーはこう言い遺した.私とは他者である,と.ごもっとも,世界は私にとって異物であり,私は世界にとって異物であり,そして私とは私にとって異邦人に他ならない.しかしながら,この私,現に質料として在るこの私,今という時間に生を費消するこの私,この世界の美しさに大して沈黙するこの私には,けっして異邦人という浅薄な表現では還元し切れない「この私」という何らかの残滓が存在するはずである.

私,私という表現から逃避しようと足掻く「この私」は,私たる残滓を拾い集め,それに生クリームでも加えて丁寧に鍋の中で煮詰め,粗熱が取れたらその中身を冷凍庫で冷やし,口に放り込めば死んでしまうぐらいに甘いキヤラメルにしようと思う.私は今日からキヤラメル屋さんになる事にしよう.これが私の気持ち,ありのままの気持ちである.

 

はい,という事で

もちろん,本ブログも創作活動の一環に他ならないが,もう少し本格的に創作に携わりたくなってきたので,そろそろ詩作でも始めようと思う.小説を執筆するよりも,この私が手を伸ばすのであれば,まさに詩作こそが相応しいのではないかと思い至った次第である.今後小説を書き始めるかは不明である.とはいえ,何らかの形で自らの創作の結果を何処かの場にてアウトプットしていく事に対しては,積極的な気持ちを持つようにしたいと思う.何事も気持ち,気力,そして大声.

しかしながら,ここである問題が浮上する. 詩作を行うにあたって,一冊のノートでも手元に用意し,心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくるのはよいとして,いや,この「一冊のノート」という前提こそが全く宜しくない.本ブログでも以前に言及した事があったように思われるが,なにぶん,私は筋金入りの「飽き性」である.

既に本年の手帖は3度買い替えてしまった.この点に関しては,我ながらやり過ぎたと思う.現在は書店で購入したカタ落ちのRollbahnの手帖を使用している.表紙が金色なので既に表紙の傷が目立った状態にあり,微妙にストレスが溜まっている.日記なり家計簿といった類のものが継続出来た記憶もない.

Twitterのアカウントに関しても,2年に一度ペースでアカウントを消去しては新たなアカウントを再度作成するという珍行動を繰り返していた.

人間関係においても,卒業を経て学生生活に一区切りが付いた瞬間に,知人・友人の連絡先の一切を抹消するという”悪癖"がある.病気なのかもしれない.だが,大抵の場合,人間を病人呼ばわりする人間の方が本質的な意味で「病人」である傾向にあるし,更に言えば,世の中に真理なんて高尚なモンはそもそも存在しないので,特に気に留める必要もなかろう.入学なり卒業なり,一定の区切りに対する執着自体に私は全く価値が見出せないのである.そうであるが故に,私には友人・知人が極めて少ない.大学時代の友人の連絡先はまだ残してあるが,社会人になる頃まで手元に残っているかは定かではない.

本ブログに関しても,いつまで戯言を書き殴り続けるのかは不明である.ただ,拙文を定期的に読んで下さっている方々がこの世界の何処かで呼吸をしているという事実そのものに救いを感じるが故に,私は惰性で本ブログを継続しているだけである.

上記を踏まえれば,私は「過去の自分」という存在を前提に「現在の自分」を捉える事に対し,生得的な忌避感を覚えるらしい.過去の自分という被造物なんぞ焚火の中に放り込んでしまえばよいと思う.焚火の火が大きくなればなるほど,私の頬は緩む.微笑みながら焼身自殺をする事,それが私の究極形態であろう.破壊への衝動は,創造への衝動である.

 

ああ,前書きが長くなってしまったので

詩作に話を戻そう.畢竟するに,私が詩作を行う相棒として「一冊のノート」は不適合なのである.他の媒体を探す必要があろう.私自身が即興詩へと身を転じる事,即ち「演劇」にでも身を投じればイメージに近い表現が可能なのかもしれないが,私はあくまで「言葉」で「言葉」を破壊する事に拘りたいので,如何に詩作にまつわるアイデアをストックする事が相応しいのか,現在模索中である.アイデアのストック手法として,何か良いものは道端に転がっていないだろうか.適当に悩んでいきたい.

 

そこで手始めではあるが

atamaganai.hatenablog.jp

 色々思う事もあるので,Twitter復帰しようと思う.

「破壊への衝動は,創造への衝動である」という事で,手始めに上記記事を燃やして来た.「個人的な形でツイッターに携わる機会は恐らく今後到来しないであろう」というのは真っ赤な嘘であった.全く一貫性が無いが,一貫性の無さこそが私なので,これはこれでしょうがないし,ちなみに私はそういう人を研究しているつもりです.

 

はい,という事で(二回目)

アカウント名もIDも変えていない.仕切り直す気力すらないが,微妙に社会交流の機会を増やしていきたいと思う.どうぞ宜しく.以上.

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