私のタバコノロジー

モノを燃やしたい

この年末年始はとにかくよく働いた.何故ここまで労働に身を費やしていたのかは自分でも定かではないものの「カネが無い」という強迫観念が、四六時中にわたって私の脳内を駆けずり回っていたという事は確かであった.鬱に片足を突っ込んでいるのかもしれない.早く定職に就けば、全ては解決するであろう.

三週間程度、仕事を三つ掛け持ちしていた影響でほぼ毎日ブッ通しで8時間以上は労働していた.休みは皆無だったので半ば死にかけていた.ふと鏡に映る自分の顔を見やると、目の下には未だかつて見た事もないぐらいに酷いクマが出来ていた.

 

労働終わりにフワフワとした頭で駅の雑踏を漠然と眺める.

酒に酔って覚束ない足取りをしたサラリーマン.駅の階段に腰を下ろし、虚空を見つめるホームレス.柱の陰で抱擁を交わす恋人達.一切の統一性を欠いたバラバラの人間達が、駅という一か所の「場」に集合していた.私、それはこの「場」を構成する一点に過ぎない.点は消失と出現を繰り返す.私の消失は、新たな私の出現を齎す.始まりとは終わりであり、終わりとは始まりである.生即死、死即生.チラチラと点滅を繰り返すクリスマスのイルミネーション、マニ車、山手線、ニーチェ永劫回帰

はてさて私の一回性は何処にある?発狂しそう.

 

労働が大嫌いであるにもかかわらず、私はどうやら無駄に多く働き過ぎたようであった.案の上、私の身体は体内に蓄積した悪い”気”を体外に放出する様子を可視化させる手段を欲するようになった.そして何よりも「モノを燃やしたい」という”謎の衝動”が沸々と沸き上がり、この衝動をぶつける場を何処かに見出さなければ気が変になりそうであった.とにかく自分の眼前でモノが燃える様子を眺める時間が、私は喉から手が出るぐらいに欲しくてしょうがなくなった.

 

焼きアイドル

「モノを燃やす」という事.

思い返せば昔から私は何かとモノを燃やしがちである.

幼稚園児の頃、私は深緑色の髪をしたリカちゃん人形を持っていた.恐らくクリスマスか誕生日に両親から貰ったものであったように記憶している.このリカちゃん人形には、通常のタイプとは異なったある特徴があった.彼女の髪を手で握ると、あら不思議.人間の体温で元々の深緑色の髪が明るい緑色へと変化するのである.この特徴を踏まえた上で当時の私が思い付いた事、それは人間の体温よりも高い熱にリカちゃんの髪を晒せば、もっと手っ取り早くかつ鮮やかに彼女の髪の色を変化させる事が出来るのではないかという事、その一択であった.

ある日、私はリカちゃんの胴体を両手で握りしめ、その深緑色の髪を自宅の居間に備え付けられたストーヴの火に近付けた.「はやく明るくなれ、はやく明るくなれ」と心に念じながら、リカちゃんの髪を火の前に晒し、ひたすら待ち続けた.待って、待って、待ち続けた.

私は待った.だが、リカちゃんの髪は一向に明るくならなかった.ふと気付いた瞬間には、もう全てが遅かった.リカちゃんの髪は、真っ黒に焦げた.室内に焦げ臭い匂いが充満したせいか、顔を真っ青にした母親が駆け寄ってきた.

私は何故か笑った.リカちゃんの綺麗な髪が一瞬の内にその原型を留めない状態へと変容を遂げ、深緑色が「黒」という一色に還る様子に、かつての私は強い興奮を覚えた.今思い返せば、この出来事はリカちゃんという女の子のアイドル、即ち偶像が灰燼へと帰す様子に他ならない.既に現在の私のポーズは幼稚園児の頃にキマっていたのかもしれない.破壊への衝動は、創造への衝動である.

 

私がモノを燃やした経験は、もちろんリカちゃん人形に留まらない.

ストーブの上に何気なく置いていたプリント類の存在に気付かずにストーブに点火をし、自分の部屋でボヤ騒ぎを起こした事もある.また「何だかモノの焦げる匂いがする、おかしいなあ」と思い、呑気にふと自分が着ているフリースの袖に目をやると、電気ヒーターの熱でフリースがドロドロに黒く溶けていた事に気付いた事もある.

そして現在の私には、新たな「モノを燃やす経験」が付け加わった.

煙草である.

 

煙草

自由意志.

果して自由意志は存在するのであろうか.私の「選択」は、何処まで私の意志に依拠するのであろうか.

神は我ら人間を創りたもうた.我ら人間、それは神にとっての煙草であり、気休めであり、闘牛場の闘牛に過ぎない.我ら人間が石に躓いて転ぶ様子、静かに愛を交わす様子、互いに銃口を向け合って血を流す様子、一切は神の娯楽に過ぎぬ.神の手中で右に左に揺り動かされる、チェス盤の上の駒.駒にとっては為されるがままに、絶対者の意の下に身を委ねる事を「信仰」という言葉で受容する以外に為す術は残されていないのであろうか.救いは何処にある?

 救い.私は煙草を吸い、サイコロを投げる事、即ち「賭け」に束の間の救いを見出そうと思う.神は世界を創りたもうた.神は我ら人間を創りたもうた.神が私を束の間の気休めとして、その享楽のために遊び甚振るのであれば、私は寒空の下で煙草を吸ってやろう.私はサイコロを何度も何度も床に転がしてやろう.幸運への意志.さあ、賽は投げられた.そんなもん投げ返してやりゃあええのさこの野郎.

 

直線的な時間

過去から現在、そして未来へと一直線に突き進む時間.この私が生きる時間とは、ほんとうに、ほんとうに”この時間”なのであろうか.電車のレールの如く真っ直ぐに伸び切った”この時間”、それは浅薄な正統性を伴った贋物に過ぎぬ.腕時計なんて要らねえんだよ.もう全部燃やしてえなこの野郎.キレそう.

私が生きたいと真に願う時間、それは絶対的な瞬間性、過去と未来が一点に収束した、捕捉しようにも捕捉不能な不条理の体現者としての「現在」に他ならない.長く生を営めば営む程に、逃避を望めば望む程に、絶対的な”圧”に押し潰される私.可能性を剥奪され、一切の必然の下で呼吸を強いられる私.不格好な私を引き摺って満員電車に揺られ続けるよりは、私は瞬間という絶対性、瞬間という永遠性に背を預ける事に享楽を見出す事としたい.もう長生きしたくねえんだよこの野郎.こっちにゃそもそも「未来」なんてねえんだよ.「未来」でメシは喰えんのかよ.何がユートピアじゃ.キレそう.

 

 

最寄り駅のロータリーに備え付けられたベンチに腰を下ろし、 寒さに震えながら煙草を口に咥え、そっと火を付ける.肺一杯に煙を吸い込み、ゆっくりと息を吐きだしながら、手元の煙草を燃え尽くしていく小さな火種を眺める.

ロウソクが燃え尽きるように、手元の煙草の長さが徐々に短くなっていくように、あるがままに生きるという事.私の生、この偶然性を静かに消尽するという事.

 

ああ、空を眺めりゃ今日もやっぱりは綺麗だ.おわり.