マッチングアプリでまだ消耗してるの?

自己存在の物化,加速するスワイプ

先日,学期終わりの打ち上げと称して,ゼミの後輩と飲みに行った.

新宿歌舞伎中の雑居ビルの高層階に佇む某中華料理店.店内ではケニーGのBGMと,あちらこちらから飛び交う中国語が混ざり合い,何ともカオスな雰囲気が醸し出されている.どうやら故郷の味が楽しめると,在日中国人に人気の店舗であるらしい.

映画『ブレードランナー』に登場するネオン街の広告看板がそのままデザイン化されたような,レトロかつ退廃的な雰囲気の缶に入ったココナツジュースをストローからチビチビと啜りながら,独特のスパイスが効いた中華料理を箸でつまみ合う.

ゼミでの人間関係や,教授に対する愚痴,茫洋とした将来不安など,取り留めのない内容の会話を繰り返しながら,各々が各々の心に堆積した鬱憤を漫然と空に放り投げる.空に放り投げられたボールは,誰かの腕にキャッチされる事もあれば,そのままケニーGの甘いサックスの音色に吸い込まれて行方知らずになった事もあった.宛先の無い手紙を書くという事.気が向いたら誰かがわたしの言葉を読んでくれる可能性に身を委ねる事.読んでも読まなくても,存在しても存在していなくても構わない.そんな柔らかな空気感の中で,延々と対話を重ねるのは何だか心地が良かった.

レモンサワーだのハイボールだの紹興酒を飲み始める内に,対話と独り言の境界線が曖昧になり,わたしの中で,ケニーGのサックス,隣客が話す賑やかな中国語,目の前でマシンガントークを繰り広げる後輩の日本語の三つが,謎のグルーブ感を生み出し始めた.このままこの混然一体としたグルーブ感に乗り,タイのパタヤビーチにでも行って砂浜で全裸ダンスをしたら楽しいだろうなと一人で悦に浸っている内に,気付けば会話の話題は恋愛へと移り変わっていた.

 

「わたし,最近マッチングアプリ始めたんですよ.ペアーズなんですけど.」

後輩がわたしにスマホの画面を見せる.プロフに設定された顔写真は,彼氏から撮影してもらったとっておきの一枚らしい.華奢な可愛らしさと精悍さが入り混じった,何処かミニチュア・ピンシュアーを彷彿とさせる彼女の魅力を上手く捉えた一枚だった.そこには,わたしの知らない愛の残り香がした.

「へえ,そうなんだ.彼氏いるけど,やってんの?」

「そうなんですよ.夏休み暇だし.男遊びしとくなら今の時期しか無いかなって.それに,別に今の彼氏と結婚とか考えているワケでもないし.」

目にも止まらぬ早さでスマホの画面をスワイプする彼女.

形の悪い枝豆を瞬時に見つけ,レーンの外に放り出す食品工場の熟練プロレタリアートを彷彿とさせる,手慣れた手つきであった.暑い夏にはキンキンに冷えたビールが合う.そのビールに合わせる定番の肴の一つが,冷凍枝豆である.ひとがビールを飲むと枝豆の需要が生まれる.枝豆の塩気に釣られて何杯もビールを喉に流し込む内に,ひとは酔っ払う.酔っ払ったひとの内の何人かは,夏の暑さと酔いの勢いに任せて誰かをホテルに引っ張り込み,雑なセックスをする.循環型社会のお出ましだ.レーンから排除された枝豆たちは,誰の口に放り込まれる事もない.ただ焼却処分される.わたしの眼前で,闘争領域が拡大していた.

 「ふーん,たしかにね.悪い男もいっぱいいるから気を付けるんだよ.」

「あはは,もうすぐアプリでマッチした人と会おうと思って.」

夏を謳歌しようと奮起する彼女の姿にあまりの眩しさを感じ,わたしは手元に置いた自分のスマホ画面に目をやる.Tinderの見知らぬ男からのメッセージ通知が山積していた.〇〇さんとマッチしました,〇〇さんからメッセージが送られました.はあ,そうですか.

 

YOUは何しにTinderへ?

Tinderとは何か.世界最大級のライフスタイルアプリである.冷凍枝豆の,冷凍枝豆による,冷凍枝豆のための政治である.

この世界でのわたしは,唯一無二の存在者としてのわたしの叫びを押し殺す.同様に,わたしは他者のその叫びも押し殺す.Tinderという政治の場では,わたしは,そして貴方も,単なる冷凍枝豆として現れる.喰うか喰われるか.セックスするかしないか.ここで展開される一切が目的従属的行為だ.メッセージのやり取りも,カフェでの会話も,陳腐な愛情表現も,一切合切が究極的にはセックスという終着点を目指して行われる.「いき」な要素が介在する余地が無い,アナーキーのアの字も無い退屈な世界だ.逆に言えば,退屈であるからこそ,単純な二分法が跋扈するこの予定調和的世界は,現実世界が孕む微細な複雑性からの逃避先としては格好の場だ.たしかに暴力的で痛い.だが,暴力的であるが故に優しい.

そんな事を考えながら,わたしはTinderの消去と再登録を何度か繰り返している.つい先日,またTinderを消去した.こうした奇怪な動きを続けているのは,思うに,わたしの性自認の曖昧さに起因するように思われる.

わたしには強烈な性嫌悪と性衝動が共存しており,この二軸の間のバランスを取る事が思うように上手くいかない事が多い.(男性性優位だが)自分が中庸的存在であり,自己存在を埋め込む鋳型が社会的に付与される典型的なジェンダーロールと合致しないが故に,両極的な思考に自己を埋没させる事で自己そのものを解体してしまいたいという破壊願望を燻ぶらせている.性に対する極端な行動はその願望の表出形態の一つなのであろう.

わたしの心と身体はバラバラだ.人間の心と身体は,緊密に繋がっているようで,やはりバラバラだ.断片同士は時に<愛>を経て癒合する時もあろうが,わたしには少なくとも断片は断片に過ぎないように思われる.愛を伴うセックスの方が愛抜きのセックスよりも性的快楽の強度が大きいとは限らない.逆も然りである.マクドナルドのセットメニューの如く,愛,性欲,パートナーシップの三者を丸々綺麗に一セットとして購入する事が果たして幸福なのか.わたしには全く分からない.

わたしは, 冷凍枝豆ではなく,人間同士の対話の一バリエーションとして,敢えてTinder的なものと対峙する経験を経た反面教師的なカタチで,セックスという行為が孕む解釈の多様性を徹底的に考え抜いてみたい.心も体もバラバラなわたしが,バラバラであるが故に肌で感じる事の出来た虚無感,アパシー,快楽,そして自己愛と他者愛の歪なバランス.体力を削り,これらを言語化する試みが,如何なる帰結をもたらすのかは定かではない.だが,やってみるだけの価値はあると思う.我々は人間である以上,政治からは逃れられないのだから.冷凍枝豆を徹底的に拒絶する者こそ,セックスから逃げたらダメだ.以上.