やけっぱちに酒、泣きっ面に口づけを

近況報告

 

ツイッターの自称を「ぼく」に変えてみた

「俺」やら「私」やら「小生」やら、ありとあらゆる大量の自称をインターネットの海に放流し続けてきたが、結果的に「ぼく」に落ち着きそうである。

自称の不安定さは、私の自我の曖昧さ、統合のブレを直接的に反映したものであるように思われる。たしかに、依然のようにコロコロと自称を変え続けるのも、私らしさを表現するという意味ではこれまた一興であろう。

だが、現実世界での私の自我が孕む統合の失調性がインターネットという場に表出し、それがテキストという形でツイッターのアカウントに累積していく状態というのは、表出させた主体としての私がそれを見返す上で、あまり精神衛生上宜しくないという事に気付き始めた。それを踏まえ、導入した自称が「ぼく」である。

ぼく。確かに男性的である。だが「俺」ほど男性性の濃度の高さを感じない。「私」では女性性が強すぎるせいか、感覚が落ち着かない。「俺」と「私」の中間、あわいの部分を捉え、それを言語化した場合に、辛うじてしっくり来る自称が「ぼく」であった。

ぼく。公僕の僕、朴訥の朴。悪くないと思う。

 

メルカリで本を売り始めた

読まなくなった本や試験対策用に購入した教科書や問題集が自宅に山積していたので、小遣い稼ぎも兼ねてメルカリへの出品を始めてみた。

私の近所のスーパーマーケットには、ありがたい事にヤマト運輸の宅配便ロッカー(PUDO)が設置されている。おかげ様で配送に伴う細々とした作業もきわめて簡素である。わざわざ郵便局やコンビニエンスストアまで足を運ぶ手間も省ける。

注文が入れば商品を緩衝材で包み、それをサイズに合った封筒に入れ、封筒ごとロッカーの中に放り込む。手続きはこれだけである。マージン諸々を加味しても、中古品店に持ち込むよりは、まだ儲け分が大きいように思われる。

匿名配送が可能なので、個人情報のやり取りは一切存在しない。

顔も名前も知らない誰かに対し、淡々と私の所有物を送るという作業の、こうした人間味の無さ。そして、こうしたものに対して幾許かの心地よさを抱いてしまう私のこころ。既に何処かが壊れかかっているのかもしれない。治療法は不明である。治療マニュアルも存在しない。いや、何処かに落ちているのかもしれないが、落ちているとすれば、きっと私の視界には捉えられない類のものであろう。見えないものを見るより、見えると思しきものだけを処理していく。

この淡々としたリズムへの快感。ネクロフィリア

 

 丁寧な生活への下ごしらえ

来年から社会人である。そろそろ学生気分もある程度に留め、自己管理術を身に付けねばならないという危機感が迫ってきた。

私はどうやら、世俗、自己の生の双方に対する執着が弱いらしい。何事も俯瞰しがちである。良くも悪くも変に捻くれている。当然、日常生活を回すことに対する当事者意識も薄めである。気付くと部屋が散らかっていたり、後先考えることなく勢いでカネを散財してしまうことも多々あり、このままではまずいという認識を持って生きるフリを頑張ろうという気持ちが出てきた。自己への配慮。

いつまでも宵越しの金は持たねえ江戸っ子ではいられない。夢見る少女じゃいられない。独立自尊でいこう。

ということで、大雑把ではあるものの、金銭管理と自炊、仕事関係の資格の取得に励む事にした。体裁だけでもよい。そこまで中身を伴わせる必要はない。行動を習慣というフェーズに持っていくだけでも、長期的な視野から見れば大きな収穫に繋がり得る。習慣の無意識化。それが楽に生きるためのコツである。流水プールに流される享楽を得るためには、第一に流れを作らねばならない。回転寿司屋さんを開こう。

 

  • 金銭管理

Moneytreeを利用し始めた。過去にも家計簿アプリを数個ダウンロードした経験があるが、手作業入力に億劫さを感じ、結果的にMoneytreeに落ち着くことになった。

手持ちのクレジットカードや銀行口座、ポイントカードのほとんどを紐付けすることが可能なので、カネの流れを掴むのが圧倒的に楽になった。クレジットカードの延滞よ、さらば。私は資本主義の犬をやります。その辺をワンワン這いずり回ってるから見ててね。笑うなよ。こっちは真剣だぞ。臓物をくらえ。

  • 自炊 

自炊といっても冷凍食品の恩恵を大いに享けているので、自炊という範疇に入るのかは定かではない。ただ、研究室に持っていく昼夜の弁当を作るだけである。時間がある時に簡単なおかずを作り、それらをメルカリの発送作業の如く淡々と弁当箱代わりのジップロックに詰める。この繰り返しである。ジップロックなので、全て詰めた状態のものをそのまま冷凍出来るし、洗うのも楽だ。

料理という行為はけっこう好きだ。レシピ通りの材料を用意し、その通りに調理をしたつもりでも、大抵何かが上手くいかない。設計図と設計物のズレが、意図しない形で私の介在によって生み出されていくこの不思議な感覚。これが興味深いと思う。ただ野菜を切ったり、炒めたりして、具材の様子が変わっていく様子を眺めるだけでもこころが癒される。人間はどうしてこんなに複雑であろうとするのだろう。犬や猫や野菜を見習って生きればもっと楽になれるのに。臓物をくらえ。

  • 資格

特筆すべきことはない。何も楽しくない。スキマ時間を活用すればどうせ何とかなる。取得すれば会社から一時金も貰えるらしい。

今の内定先に長居するのかも定かではない。刺青が彫りたくなって退職願を突きつける可能性もなきにしもあらずだ。ということで、手持ちのカードは増やしておいても損にはならない。ない袖は振れぬ。要は振れる状態にしておくべきだ。

個として戦えるスキルを身に着け、絶えず自己鍛錬に励むというのが、現在の労働市場が要請する規範の一形式である。私はネオリベラリズムをやります。闘争領域に飛び込みます。全員ブン殴ります。力こそ全て。笑うなよ。こっちは真剣だぞ。臓物をくらえ。

 

最近の一曲


THE ROOSTERS / どうしようもない恋の唄